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張美人 (宋仁宗)[ちょうびじん]
張美人(ちょうびじん、1000年代? - 1028年10月23日)は、北宋の第4代皇帝仁宗の側室。皇后を追贈されたが、同じく張姓の温成皇后とは別人である。 == 経歴 == 上将軍張美の曾孫にあたる〔これには疑義がある。景祐元年(1034年)、殿直の張師古(張美の曾孫)は、「故妹美人先詔令為臣祖守英之女、近蒙聖恩追冊充皇后、祖守英未蒙封贈」と求めた。張美の家族と張美人とは、詔令による義理の親族関係とも考えられる。〕。天聖2年(1024年)に選抜され後宮に入った。仁宗は張氏を寵愛しており、皇后に立てたいと望んだが、皇太后劉氏が反対したため沙汰やみとなった。9月、郭氏が皇后に立てられた。 2年後の天聖4年(1026年)4月、張氏は正五品才人となった。天聖6年(1028年)9月22日、病気になり、正四品美人の位に進められて、5日後(1028年10月23日、霜降)に死去した。 明道2年(1033年)、皇太后劉氏が崩じた後、仁宗は初めて自身の実母が李宸妃であったことを知り、深く悼んだ。11月、張美人は皇后を追贈されたが、諡を賜ることと宗廟に祀ることはなかった。
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